11000 倫理学

課題1.因果の法則と意志の自由について、考察しなさい。

  「因果の法則」とは、ある行為と現象を原因と結果として直接的に結びつけられるという考え方である。この場合は、相手に生じた状態は相手に対する一定の働きかけを原因として生じていると考える。

 「意志の自由」とは、自分が行う行動を自分自身の基準に基づいて選択できるということである。「意志の自由」が存在する場合には、相手に生じた状態は相手に対する働きかけと単に結びつけられるものではなく、その都度相手が自分で善悪などを判断し、その結果として生じていると考えることができる。

 カントは、現象を認識する理性を純粋理論理性であるとし、思惟の形式の一つに「因果の法則」を数えている。また、道徳法則が人間の自己の中から生ずるものとして立法し、自己の行為を指導する能力を持っている理性として純粋実践理性があるとし、「意志の自由」は、この理性の要請であるとした。ここでいう「純粋」の意味は、人間すべてが持っている先天的なもののことであり、人間すべてが同じように先天的に理性を持っているという意味である。

 根本仮定としては、因果の法則があることを認めるておかないと、認識することも、考えることも、行為することもできない。例えば、相手に冷淡な態度をとった場合に、相手が怒ったと考えるのは、因果の法則を前提にしている。また、ある目的を達成する手段として、ある行為をなす場合には、その結果として目的が達成されることを期待している。つまり、原因と結果の必然的関係(因果の法則)を認めているのである。

 ところが、人間は行為するに際して、自己の意志が因果の法則に拘束されていない自由なものであるということも認めている。人間が行為しようとするときには迷ってどのようにするかを選択するという事実に基づいて、人間には意志の自由があると信じているのである。

 「人間は、因果の法則にのみ支配されて生きるものではなく、意志の自由をもっていて行為するものである。」テキストは、この点で人間が、人間以外の物とは根本から区別されると述べている。

 人間以外の動物の場合、その行動は本能に支配されており、自分で善悪の判断をして行動を選択することはないと考えられている。これに対して、人間が行動する場合には、善悪などの基準を持っており、これらと照らし合わせながら判断し、行動を選択できる。つまり、「意志の自由」を持っているのである。このことは、人間と人間以外の動物との根本的な違いであると考えることができる。

 では人間は生まれたときから「意志の自由」を持っているのだろうか。

 カントは理性が先天的なものであると述べているが、人間は生まれたばかりの状態では、他の動物と同じく、食欲や睡眠などの本能に支配されていると考えられる。お腹が空けば食べる(泣いて食欲を訴える)し、眠くなれば寝る。また、生まれたばかりの赤ん坊の反応は単純である。不快であれば泣くし、満たされれば笑う。つまり「因果の法則」に支配されているのである。

 この状態では、まだ善悪の基準などはないため、「意志の自由」もないと考えられる。「意志の自由」を持つためには、善悪の基準を持つ必要がある。テキストでは4つの禁制として、人を殺すこと、嘘をつくこと、盗みをすること、性道徳が混乱することを上げているが、これらは人間の善悪の基準の根本的なものと考えることが出来る。

 生まれたばかりの赤ん坊は、この4つの禁制でさえも持っていないと考えられる。人を殺す力はないが、(盗れるかどうかは別としても)欲しければ人の物でも盗るであろう。

 彼らはその素質を先天的に持っているとはいえ、「意志の自由」を持つ(つまり人間になる)ためには、親や年長者、保育者など他の人間によるしつけや教育が必要としており、彼らが「意志の自由」を持つのはこの後であると考えられる。

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